二分脊椎症の小学生の息子を育てるママです。私自身にも持病があります。
出生前検査や超音波検査で妊娠中にお腹の子が二分脊椎症だとわかる場合もあるそうです。
ちなみに私は分かりませんでした。
もし妊娠中に分かっていたら、小心者で心配性の私は耐えられなかったと思います…
でも、妊娠中に分かってたら、1番話を聞きたいのは、同じ二分脊椎症のこどもを持つママかもしれないと思いました。
なので、もし1人でもそのような人が読んでくれると嬉しいです。
妊娠中にお腹の子に病気があるとわかること
私は、自分が妊娠できると心のどこかで思っていなかったところがあって、妊娠したことが信じられなく、とても幸せを感じました。
私は初産だったので、妊娠自体が人生で初めての出来事でした。体調や感情の変化は、それまで感じたことがないものだった気がします。
今考えればお母さんになる準備であり、貴重な時間だったと思います。
お腹の中には命があって、しゃっくりをしたり、蹴ったりして、アピールをされるんですよね。
それでも、母親になるという実感はまだまだ薄かったと思います。
もし、そんな時に、お腹の子に病気がある、二分脊椎症という聞きなれない病気と分かった場合、計り知れないほどの衝撃だと思います。
いろんな赤ちゃんがいるのは分かっていても、なんとなく自分は大丈夫な気がするもんで。
また、お腹の中にいるということから、自分の一部のような気がして、病気と言われると自分がそうであるような宣告を受けたに等しいですよね。。
想像でしかないのですが。
とにかく個人差はあるでしょうが、ショックを受けると思います。
妊娠中に分かったことには意味がある
私は、妊娠中に分からなかったのですが、妊娠中に分かってくれたことにはとても意味があると思います。
やはり、産むまでに準備ができます。
病気がある子を安全に産むには、産む時の環境はとても大事です。
特に二分脊椎症で、開放性脊髄髄膜瘤と言われるタイプの場合は、背中が開いてしまっているので、それを閉じる手術を24時間以内にしなければいけません。
うちの場合、生まれてから背中に髄膜瘤があることがわかったため、産んだ病院以外の病院に救急搬送されました。
次の日の朝に、ベテランの先生に手術していただきました。
実はとてもラッキーなことで、搬送された病院も先生も、大変実績がありました。
でも、私たちはたまたま幸運でしたが、事前に準備ができていると、病院や先生、何よりも自分や家族にとっての負担が軽減されます。
生まれてすぐに手術した息子
夜に救急搬送されて、次の日の朝には手術を受けた息子でした。
私は産んですぐでしたが、次の日の朝も手術に付き添うことができました。
手術をしてくれた先生にも、私がいることにビックリされました。
産んですぐは、普通は来れないらしいです。
でも、産んだ病院が、産んだ後状態がいいように、うまく産ませていただける工夫もしてくれてました。
そのおかげで、次の日から結構元気でした。
その後は、夕方まで息子の病院に行き、その後は自分の病院に帰るという生活が数日続きました。
自宅に帰ってからは、毎日車で病院に通いました。
NICUという赤ちゃん専用の集中治療室に入院していたのですが、40週ぴったりで生まれた我が子は、周りに未熟児さんがたくさんいるなかで、ひときわ体も泣き声も大きくて、とても元気に見えました(^ω^)
3週間ほどで退院しました。
先輩ママがどうしても伝えたかったこと
もしかしたら、「自分が病気の子を産んでしまった…、」と自分を責める人もいるかもしれません。
それは、絶対に違います。
病気であることを選んで生まれてきたのは、その子自身であると、少々スピリチャルなことで申し訳ないのですが、7年間子育てをして息子のそばにいて、私はそう思ってます。
最初から、病気であることを望んで苦労もいとわないような子が、自分のこどもとして、生まれてきてくれるなんて。
それだけでも愛おしいです。
自分の話で恐縮ですが、私の病気は母からの遺伝ですが、母や祖先を恨んだことは一度もありません。
世の中には、後天性の事故や病気も数え切れないほどあります。
事故に遭うこと、病気になることは、それだけだと不幸かもしれません。
でも、その状況になったことで理解できたり、人として成長できることもたくさんあります。
人って周りと比べてしまう生き物なんですが、それってあまり意味のないことなんですよね。
息子は障害があり自分も病気なのですが、それはうち独自の事情で、乗り越えられない試練は与えられないんだろうと思います。
まあ、私も20代など若い頃はそんなこと全く思ってなかったんですけどね。
障害がある息子の子育てを経験したり、自分が病気になったりすると、分かることがたくさんあります。
うちの息子は、私の人生を豊かにしてくれている、1番の功労者です。
息子は、かわいくて仕方なく、私が生きている意味のような存在です。
息子を授かったこと、病気を持って生まれてきてくれたことを、感謝せざるを得ません。
病気があるのは息子自身であって、大変ではないということはありません。
親としては全力でサポートするのみです。
そのことを苦労とか迷惑とか思ったことはありません。
妊娠中は、そこに人として存在はしてないので、初めての出産の場合は特に、親としての当たり前の感情が湧きにくかったりもします。
私が大事だと思っていること
息子は、生まれたときから、たくさんの人々に助けられてきました。
病院の先生や看護師さん、リハビリの先生、訪問看護師さん、ケアマネージャーさん、幼稚園や学校の先生、子育て支援の方々、数え切れなくてあげきれません。。
私は病気ですが、息子と共通の先生にお世話になっています。リハビリや訪問看護師さんもです。
息子に障害があったことで、私自身が助けられていることも、物理的にも精神的にもたくさんあります。
自分が求めれば、たくさんのサービスがある時代なので、生きていくのに意外と不自由はありません。
困っている場合は、積極的に情報収集して、助けを求めていくことができます。
また、それを当たり前とは思わず、常に感謝していくことは大切です。
感謝はいろいろ波及していくものです。
信じられないくらいの人々が助けてくれるのには、つながりがあり、その根底には感謝の気持ちがあり、それが広がっていったなような気がします。
小学生になった息子が話すこと
当の障害を持った本人はどういう息子なのでしょうか?
自分の障害については、どう思っているのでしょうか。
息子は3歳過ぎまで、あまり言葉が出てこなかったので、少し心配でした。
でも、いまはすごくおしゃべりです(^∇^)
幼稚園は、普通に健常児が多いところでしたので、息子がなぜ歩けないかを、他のお友達が私に聞いてきました。
二分脊椎症でも歩ける場合もありますが、うちの子の場合は歩けないために移動は車椅子かハイハイです。
その度に、私が「病気だから」と話すのを聞いて、自分は病気だからと聞かれたら話すようになったようです。
息子はその頃、「なんで歩けないの?歩けるようになりたい」ということも、言うようになりました。
「病気だから仕方ない、だからリハビリ頑張ってるよね。」と言ってました。
年長の時、息子が真剣に私たち両親がいるときに、聞いてきたことがあります。
自分はどういう病気なのか?と聞かれました。
私たちは、病名からどういう病気なのかを話しました。
6歳なりではありますが、少し理解できたようです。
たくさんのお友達に聞かれるし、 自分のことだからちゃんと理解して話したいと思ったようです。
歩きたいといわれることは、親としては切ないですが、息子のことなので、リハビリできる環境を整えたり、支えて見守るしかないと思っています。
息子は、私母親のことをとても大事にしてくれます。
本人も、「ママのことだいじにおもってるよ、大好きだよ。」と言ってくれます。
主人のことは、「きらいー」なんて言いながら、いつ帰ってくるかいつも気にしているくらい大好きです。
私たちにできることは、息子が障害を卑下することがないように、とにかく愛情を注いでいくことです。
息子の存在が、私たち夫婦にとっては、かけがえのないものなのは間違いないので、勝手に愛が溢れています(笑)
まとめ
すべての子育てに言えることですが、母親一人でなんとかしようとは思わず、いろいろな人に助けを求めていけばいいと思います。
まあ、私なんて、たった7年でこどもも一人しかいないので、偉そうなことは言えないんですけど…
実際はいろいろ難しいこともあります。
でも、意外と乗り越えていけるもんです。
助けてくれる方には、とにかく感謝を忘れず、こどもに対しては愛情深く育てていれば大丈夫です。
お腹の子に障害があると分かったとしても、妊娠中は心穏やかにお過ごしいただきたいです。
このブログにも、二分脊椎症について書いていますので、必要な部分をお読みいただけると幸いです。