Time is limited

障害児を育てる難病ママのブログ

二分脊椎症の息子の誕生、救急搬送とNICUに入院

うちの息子は、二分脊椎症(脊髄髄膜瘤)を持って生まれました。 息子が生まれてから救急搬送されて、赤ちゃん用の集中治療室(NICU)に入院するまでは、どうだったかをレポートします。

 

私は、30代後半、初産でした。つわりはひどくほぼ生まれ出るまで辛かったです。

妊娠8か月までは働いていましたが、経過は順調で特に妊娠中のトラブルはありませんでした!(^^)!

40週1日目、夜の12時を過ぎたころ、破水。すぐに病院に向かって入院しました。 それでも夜中は落ち着いていて、旦那も一度帰されました。 ただ破水していたので、陣痛促進剤を飲みました。少し陣痛は来ましたが、なかなかあまり順調に陣痛は来ず、子宮口もあまり開かなかったですが、夜7時20分頃、なんとか生まれました( ;∀;)

やっと生まれて放心状態でいると、分娩室には我が子の泣き声が響いていました。 すぐに抱っこできて、初乳を飲ませなきゃ!と考えていたのですが、なぜか抱かせてくれません。。

 

「小児科の先生呼んできて」と声がして、小児科の先生が生まれたばかりの我が子を診察しています。 「この子は手術が必要になるかもしれない。ここでは診れないので、救急車で大きな病院に搬送します。お父さん、付き添っていただけますか?」と言われました。

我が子を抱くこともできず、1時間後には救急車で運ばれて行きました。 お義父さんとお義母さんが分娩室に入ってきたので、我が子との対面をしてもらいましたが、1時間後に救急搬送されて、3人が残される形に。 泣き声がすごい存在感だったので、「なんだか1時間しか一緒にいれなかったのにさみしいねぇ・・・」と話していました。

 

夜中は一人で悶々としていました。 大部屋で、母子入院が基本だったその病院では、病室に赤ちゃんの声が響きます。旦那からのメール「明日の朝、9時半から手術だって」

 

カーテンを開けて、取り上げてくれた助産師さんが言いました。 「明日心配だよね。病院出て付き添ってもいいよ。」と言ってくれたので、次の日の朝、そこから1時間くらいかかる病院へ主人が運転する車で向かいました。

病院についても、主人は言葉少なく、あまり病状を詳しく説明してくれませんでした。 でも、昨晩、先生から説明は受けてるはずで、その時にもらった紙を持っていたので、それを見せてもらいました。 一番最後に、車椅子になるかもしれない、と書いてありました。 急に心臓がバクバクして勝手に涙が流れました。

 

私はそれまで、手術が必要になっても、手術で治る病気だと思い込んでいたので、将来にわたって障害が残る病気ということが、わかっていませんでした。

でも、息子の病気がわかって泣いたのはそのくらいかもしれません(´∀`)

意外にも障害児を持った衝撃というのは少なかったんです。多分、旦那の平然とした態度も一因だった気がします。

子供を産むことが自分にもできたことのほうが自分にとっては衝撃でした。

その後は、息子が可愛すぎたのと、周りが私以上に可愛がってくれたこともあるのか、怒涛のように日々がすぎていった気がします。 いろんな人の手でケアされて元気に育っています。5歳になった今は、それが数十倍にもなっています。

 

二分脊椎症とは?

 

生まれた時に、脊髄神経の一部が露出しています。だいたい腰の後ろ側です。 ばい菌が入ると髄膜炎という重篤感染症にもなりうるため、だいたい24時間以内には手術で露出部分を閉じます。うちの子はこの状況でした。

上記は主に顕在性(開放性)二分脊椎症ですが、二分脊椎症には、大きく分けて顕在性(開放性)二分脊椎症潜在性二分脊椎症の二種類があります。

1 顕在性(開放性)二分脊椎症

背中に脊髄髄膜瘤や脊髄破裂を生じています。 生まれてすぐに背中を閉じる手術をしなければいけません。普通なら脳から出ている神経の束が、ホースのようになった脊椎の中を通り、体へいろいろな信号を送っています。 このタイプの場合は、脊椎の一部が背中側に開いていて神経が飛び出しています。 その領域の神経は壊れているので、ぼうこうや肢体など下半身に主に障害があることが多いです。 人によって症状の重篤さは異なるので、下半身以外の上半身や知的障害などの障害がある場合もあります。

 

2 潜在性二分脊椎症

脊椎の表面から異常が見えないタイプです。 幼児期はあまり症状が見られないので、気づかない場合もあります。成長期に、排便障害、下肢や神経障害を生じることがあります。

 

息子の手術が終わりました。 生まれた時から背中に瘤があるために、ずっとうつ伏せでしたが、手術の直後は、仰向けに寝てました。これから、しばらくはうつ伏せの日々が続くため、ここで写真をパシャり(^_^)

初めて息子の顔をきちんと見ることができました、とても可愛かったです(⌒▽⌒)

 

手術の直後に執刀してくれた先生が、説明してくれました。 先生は、私がいることにビックリされてました(⁰▿⁰) 普通はお母さんは出産した直後なので、数日経ってから来るそうです。

私が生んだ病院では会陰切開をしないことを原則としていました。 普通はそれでも自然に割けるらしいのですが、私は助産師さんが抑えててくれて、イキミ方もゆっくりやってくれたので、ものすご、辛かったですけど(⌒-⌒; ) でもそのおかげで、割けなくてすみました。また、会陰マッサージクリームとやらで、妊娠中にマッサージしていたのが効いたのか?とにかく、それから毎日退院するまで息子の病院に通えたことは、そのおかげなので、本当に助産師さんには感謝してます。 また、救急搬送された日は土曜日の夜遅く。夜に説明をしてくれて、次の日は日曜日、朝早くに執刀してくれた先生も命の恩人だと息子に言い聞かせ、とても感謝しています。

 

その後の息子は、NICUに入院しました。乳児の集中治療室です。 息子は、40週ぴったりで生まれたので、未熟児で入院している子たちが多い中で、ひときわ泣き声も大きく体も大きかったです( ̄◇ ̄;)

私は出産直後で初産だったものの、イギリスのキャサリン妃並みの回復力を見せ、そこから毎日息子の病院に通いました。自分の病院は3日で退院しました。

夕方に自分が出産した病院に帰るのですが、足がダイコンのようにぶっとくむくんだので、看護師さんにビックリされましたΣ(・□・;) でも、周りに赤ちゃんの声がすると辛いだろうと、妊婦さんの部屋に変えてくれたり、最後は個室が空いたので個室を使わせてもらいました。 もちろん、料金払ってません、すみません(>人<;)

3週間と少し経った頃、息子はNICUを退院することができました。

退院の直前に、親子で過ごす時間体験として、丸一日、個室で我が子と2人きりで過ごすんです。 それで、退院したものの、ほぼ1ヶ月、完全看護の病院にいて、普通は生まれた直後に大変な日々が続くのに、それを1ヶ月サボった私たちにバチがあたりました( ̄◇ ̄;)

全く泣き止まない…全く寝れない私たち…

すぐにギブアップし、次の日の朝にはお義母さんに電話してました。

駆けつけてくれたお義母さんに、それから1ヶ月泊まりがけでサポートしてもらいましたとさ( ̄∇ ̄)

にほんブログ村 病気ブログ 二分脊椎症へ
にほんブログ村