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障害児を育てる難病ママのブログ

二分脊椎症のこどものママが語る生まれてから怒涛の3年間とは?

現在の息子は小学校1年生になりました! 顕在性二分脊椎症(開放性脊髄髄膜瘤)は、出生前診断や超音波検査などで、出産前までに分かることがあります。 私は妊娠中には分かりませんでした。 でも、生まれてからすぐに分かったので、それはそれで事前準備もなく、大変な面もあったことは否めません。

生まれてからちゃんと育っていくのかが、親にとっては一番心配なところ。今小学校入学までこぎつけた息子は、どのように育っていったのかをお伝えします。

 

二分脊椎症とは?

 

顕在性(開放性)二分脊椎症とは、妊娠のごくごく初期に、神経管の形成が不完全になってしまい、脊椎の管の中にあるべき脊髄が脊椎の外に飛び出してしまっています。

場所は、背中の下のあたりです。出生から、目安として24時間以内に、その飛び出してしまっている部分を閉じる手術をしなければいけません。 うちの息子も、背中がこぶ状になっていて、お肉が露出している痛々しい状態でした・・・ そのために、妊娠中に病気に気づくことは重要になります。

二分脊椎症には、潜在性二分脊椎症というものもあり、出生後すぐの手術が必要ではなかったり、症状もそこまで重症ではない場合がありますので、ここでは省かせていただきます。

 

出産したとき

私の場合は、出生前診断を受けておりませんし、超音波検査は検診で受けておりましたが、なかなか見つけにくい位置にあったようです。 そのような場合もあるので、妊娠中に必ず見つかるというわけではありません。

産んだ病院は、中規模の病院で、そこで手術はできなかったため、出産から1時間後に、こども専門病院に、産んだ病院の小児科の先生も付き添っていただき、主人とともに救急搬送されました。

 

 

生まれてすぐは、手術後にNICUという赤ちゃんの集中治療室に3週間ほど入院しました。 完全看護でしたが、毎日NICUに通いました。

まだまだ親という自覚がなかった時期でしたし、毎日行かなくても良かったのですが、なんとなく足が勝手に向かっていました。 ビデオカメラで撮影することができ、平日来られない主人のために、映像に残しました。 主人は毎晩、嬉しそうに、そのビデオを見て可愛いを連発していました。

NICUは他に沢山の赤ちゃんたちがいて、未熟児で小さいお子さんが多かったのですが、うちの子は40週ピッタリで元気に生まれましたので、一際大きな声でガンガン泣いておりました(^_^*)

 

私と夫と家族などの状況とサポート体制

私は30代後半の初産でした。 うちの子は、今も一人っ子です。 息子が生まれる直前まで某エンタメ企業のシステム担当として、ウェブサイトやスマホアプリの企画、運営を担当していました。 繁忙期は終電やタクシー帰宅になることも珍しくありませんでした。

産休と育休を取得しましたが、復帰はかないませんでした。 でも、それに全く後悔はしていません。 私は、脊髄小脳変性症と国指定の進行性の難病ですが、出産から数年は症状を自覚することはありませんでした。この病気は母からの遺伝です。

 

母は随分前に他界しており、父も他の病気でしたが、去年他界しました。出産時は健在でしたが、その頃すでに病気があったので、サポートは受けられませんでした

姉もおりますが、また同じ病気のため、サポートは難しいです。

 

主人は同じ会社で、似たような仕事をしていました。 生まれてから数年は、夜は遅く帰宅することが多かったです。 でも、最近は、働き方改革なのか?早く帰ってこられるようになりました。 また、私の病気の進行もあり、料理以外の家事や育児は全面協力してくれています。 というと、聖人のようなひとみたいですが、フツーの人だと思っています(・∀・)

 

義父と義母はとても優しい人たちで、初めから協力的で、頼りになります。 ただ、車で2時間半の距離に住んでいるため、容易には来ることはできません。 息子もおじいちゃんとおばあちゃんが大好きです。

 

私の場合は、自分の親と姉はサポートが難しく、主人側に頼るしかありませんでした。

 

退院後は?

 

生後すぐの入院でしたが、3週間後に退院しました。 初産だったので、赤ちゃんと一緒に暮らすことが初めてでした。

お風呂、オムツ、ミルク(母乳)と夜泣き…主人と私は早々にギブアップ( ̄∀ ̄) お義母さんに助けを求め、うちに泊まり込んでいただきました。

 

もう気を遣うという次元ではなく、お義母さんがいてくれないと寝られませんでした。 やはり初めての子育ては、想像以上にたいへんで。。

でも、二分脊椎症だからといって、他の子の子育てと違うことはあまりないんです。 唯一の違いは導尿くらい。入院中に導尿の仕方は習っていました。導尿とは尿道の先からカテーテルを入れて尿を出す医療行為です。

当初は1日4回で良かったので、普通のオムツ替えより少ないくらいです。 それと、手術した病院には外来に行きました。 3歳くらいまでは月に一回くらいでした。 だんだん行かなくなり、6歳の今では半年に一回くらいです。

導尿について

https://hdc-lifehack.com/dounyo/

未就園時期の活動について

 

保育園活動

 

私は育児休業中だったので、0歳児のときに、保育園活動をしました。

実際に保育園に行って説明しましたが、導尿をしてくれる看護師さんが保育園にいなかったので、入園することはできませんでした。

https://hdc-lifehack.com/post-42/

足のこと

ハイハイまでは順調に成長しました。

1歳代後半になると、周りの子たちは歩くようになり、やっぱりこの子は歩けないのかな?遅くても歩けるかな?と思っていました。

また、左足の股関節に亜脱臼があったので、お風呂以外は、股関節を開くように固定する「ぶかぶか装具」というものを付けました。1年半くらいつけていたので、その時は周りに言わないとおかしいかな?というのもあり、息子の状況を話すこともありました。

 

ぶかぶか装具を外した後くらいに、ひざ下の変形を防ぐために、プラスティック製の短下肢装具というものを付けるようになりました。 これは、その子の足の状況によって変わりますし、付ける時間も変わりますが、就寝時やお風呂は外しても問題ないことが多いです。

 

無認可保育園に一時保育

 

私の病気の進行もあり、治療に針に通っている間に、近くの無認可保育園に一時預かりをしていました。

そのような場合は、導尿にかからない時間で、歩くことができず足に装具をしていることが問題にならないかを事前に相談しました。

その保育園では快く引き受けてくださいました。

 

未就園の障害児クラス

 

また、月に三回ほど、市のサービスで、同じくらいの未就園児の障害児を集めたクラスを開催していたので、それに参加していました。 そこには保育士さんがいて、毎回こどもの様子を記入するシートを渡して、相談に乗っていただいていました。 障害児特有ということは少なく、子育てをしていると誰でもぶつかるような悩みが多かったと思います。 その場で相談に乗っていただけて、本当に助かりました。

 

そのクラスは、同じ市内に住んでいた二分脊椎症のお友達のママに紹介していただきました。

二分脊椎症やさまざまな病気には集いなどが催されることもあります。 気が進まないことはあると思いますが、そういったことの情報を得るためには、まずは市の福祉課や通っている病院などに、相談員が要る場合が多いので、まずは一度相談をしてみると、情報を得られることもあります。

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