私は国指定の難病である脊髄小脳変性症ですが、母からの遺伝です。
20代の時にお付き合いしていた彼とは、婚約してましたが、病気が遺伝するかもしれないということで、相手のご両親の反対があり、振られてしまいました。。
でも、今は病気になってしまいましたが、他の人と結婚できて9年目、子どももいます。
遺伝するかもしれない病気を抱えている場合、結婚前の若い時期には、私のような悩みを持つことは考えられます。
ひとつの例として、私の経験が参考になるかもしれません。
母が病気を発症した頃
私が中学生くらいの時、母が階段の1番上から落ちたことがありました。
その時に大した怪我はありませんでした。
家族は母のおっちょこちょいかな?と思いつつ、今でも覚えているくらい不安な出来事ではありました。母は自覚があったんだと思います。
この脊髄小脳変性症という病気は、足のふらつきや手の震え、しゃべりにくさやむせが初期症状としてあります。
私が高校生の時には、検査入院をして、病気がわかったので、病名を聞かされてました。
祖母もその病気だったはずで、そのことから、この病気は祖母からの遺伝であると分かりました。
多分その時に、私たち姉を含めた子どもたちも遺伝することを聞かされたと思います。
進行性の病気なので、母は少しずつ悪くなっていきました。
社会人になった私は、母が病気が進行していくことをあまり受け入れていませんでした。
見て見ぬ振りをしていたような気がします。
母からの遺伝である私が難病の発症を感じたのは?脊髄小脳変性症とは? - Time is limited
20代のわたし
20歳のわたしは、短大を卒業後に、一般企業に事務として就職しました。
就職して一年目の夏、わたしはひとりの同僚の男性とお付き合いすることになりました。
その人は、社交的でお酒好き、わたしを優先してくれて優しい人でした。
週に複数回会うようになり、彼の一人暮らしの家でご飯を作ったり、家事をしたりすることもありました。
会社では、私たちが付き合っていることは周知の事実で、同僚も上司も知っていましたし、社内恋愛がダメな雰囲気はなかったので、私たちも隠していませんでした。
20代も半ばになると、友達も結婚するようになり、私たちもすでに5年以上付き合っており、この人と結婚するんだろうなと思っていました。
そんな中に、彼からプロポーズをしてもらいました。
その時には、すでにわたしが母の病気が遺伝する可能性があることを伝えていたと思います。
遺伝の可能性は、50%でした。まだ、発症はしておらず、遺伝しているかどうかは分かりませんでした。
5年も付き合っていると、彼のご両親に会う機会もあり、その時のわたしの心証は悪くなかったようで、ご両親からも随分と長く付き合っているようだしそろそろ…と言われるくらいでした。
ただ、彼がプロポーズしてくれて、彼のご両親に、遺伝をするかもしれない病気があることを彼から話したことで、結婚を反対されました。
この前まで放送されていたドラマ『パーフェクトワールド』みたいです( ;∀;)
『パーフェクトワールド』最終回まで観て感じたこと | 障害者ライフハック
彼は小学校から私立に通っているようで、自宅も大きめで、お父さんも中規模の会社を経営しているような、少しおぼっちゃまなところがありました。
なので、より一層、跡取りにかける気持ちもあったと思いますし、息子に苦労させたくないと思ったんでしょう。
彼は何度も話し合ってくれて、ご両親を説得しようと頑張ってくれました。
でも、ご両親から良い返事を聞くことはありませんでした。
そこで、遺伝が分かる方法として、遺伝子検査があるということで、それを受けて遺伝をしていなかったら結婚してもいいという妥協案が出ました。
その検査は、私にとってはかなり厳しい条件でした。
事前に遺伝しているか分かるということは、自分が将来、病気になるか分かるということです。
その検査を受けてもし遺伝していたら、結婚はできない上に、病気になると分かることです。
でも、彼は、遺伝子検査をしてもし私が遺伝していても結婚してくれると言っていました。ただし、彼のご両親が受け入れてくれることはないので、勘当されてもいいと言われました。
彼がご両親を大切にしていることも分かってました。勘当までされて。。という思いもありました。
遺伝子検査というものがどういうものかを病院に彼と一緒に聞きに行ったりしていました。
また、この病気の人たちのオフ会にも彼と一緒に参加したりもしていました。
そこで、すでに結婚して発症している女性が妊娠して、生まれてからもかなりご主人がサポートしている姿を見たり、私と同じ状況で結婚が決まった女の子と知り合いになりました。
病気なのに、ふつうに受け入れられている人を見ると、自分との違いに落ち込みました。
彼は味方でいてくれたのですが、結婚を反対されて自分を否定された気分でしたし、実際そういうことで。。
彼が勘当されてもいいと思ってくれてるのは本当にありがたいことでしたが、それで本来は親を大切に思っている彼も、私自身も幸せになれるのか不安でした。
それに、遺伝していた場合、思慮深い彼のことなので、子供は諦めなきゃいけないだろうと思っていました。
そんなことをごちゃごちゃ考えていた私は、だんだんと気持ちがすさんでいっているような感じがしていました。
彼の気持ちを試すような態度で、その時は彼にあたっていたと思います。
そんな私を見ていた彼は、もう限界を感じていたと思います。
自分たちの我を通して一緒になっても、誰も幸せにならないことに気がついたんだと思います。
私も彼も、親も周りの人間も。
その時は、付き合って7年半の歳月が流れていました。
彼に、別れを告げられました。
彼は私のことが嫌いになったわけではないということでした。
そんなことを言われて、納得できなかったわたしは随分と食い下がったと思います。。
今考えれば恥ずかしいし、彼には迷惑をかけてしまいました。
彼は、きちんと判断を下すことが出来て、本当にすごいと思います。
最終的には私のことを考えてくれて、自分が身を引くべきだと考えたんだと思います。
その頃の私は28歳で20代ではあったので、これ以上引っ張れないと思ったと思います。
一方で、病気かもしれない私は、宇宙に天涯孤独で放り出された気分でした。
こんな条件の悪い私は、結婚相手なんて見つかるわけないし、どうしてくれんのよー!!という気持ちと、7年半も付き合っていて、自分の生活になっていた彼をずっと忘れられないでいました。
彼と別れてすぐ、母が亡くなりました。
その頃の私は、目の前の景色がグレーに見えるくらいで、生きていたくないなといつも思っていました。
今だから考える婚約破棄に至った理由。
私がこうすれば何か変わっていたのかもしれないと今更ながら思うことがあります。
本来なら、自分が彼のご両親に分かってもらえるように、会いに行ったり何かしらの努力をするべきでした。
彼や彼のご両親の気持ちをもっと考えるべきだった気がします。
私は、病気になってしまうかもしれない自分を可哀想に思っていたと思います。
そう思ってくれないご両親が悪だと。。
彼にも病気になるかもしれない私をきちんと面倒みてよ!と思っていたのかもしれません。
でも、私がどういう人間かもわからず、可愛い息子が苦労するかもしれないとなれば、親なら反対することもあると思います。
まあ、今考えると20代の私はダメダメだったので、ご両親に受け入れられる自信はないのですが…
人に求めるばかりで、自分自身が一番『思いやり』に欠けていました。
私がこんなことを思えて、冷静に振り返ることができるのは、この経験が大きく影響していることは間違いないので、結局は叶うことはなかったんだと思います。
今の私は、違う人と結婚して子どももいるので、幸せです。
この世の終わりと思うほど、私にとっては辛い経験でした。
ただ、この経験があってこそ、少しは人の痛みがわかる人間になった気がするので、結果的には良かったんだと思えます。
今は病気を受け入れられているのも、このおかげのような気がしています。
ここからかなり時間はかかりましたが、なんとか私も結婚することができて、かけがえのない子どもを授かることができました。
また、そのことは改めて書きたいと思います。