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障害児を育てる難病ママのブログ

遺伝する難病の私が結婚できた理由。

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私は、脊髄小脳変性症という国指定の治らない難病です。

今は専業主婦で、一児の母です。息子は現在小学校一年生です。一番大変な時期は脱したものの、まだまだ母親が必要です。

うちの子は二分脊椎症という先天症の病気なので、手がかかることもあります。

 

私の脊髄小脳変性症という病気は、遺伝が原因のこともあります。いろいろな型があるので、遺伝じゃない病型もあるのですが。

私には姉が1人いますが、その姉も発症しています。

 

私は、遺伝する難病でしたが、それでも、結婚して、子供が生まれました。

そして、発症するかはわかりませんでしたが、やはり病気が発症しました。

 

でも、結婚して子供を授かった今は幸せです。

 

私の経験をお伝えすることで、同じような境遇の方が、少しは救われたり、少し頑張れたりできればいいなと思います。

 

 遺伝する病気って実は大問題だった

 

母が病気を発症して、遺伝がわかったものの、私はまだ自分が病気になってしまうことを考えていませんでした。

どこか、他人事だった気がします。

母が病気になってしまった悲しさしかありませんでした。

 

でも、20代も半ばを過ぎ、自分も結婚を意識するようになって、そのことが問題になることを自覚しました。

 

結婚を考えていた相手の親に、病気が原因で反対されたのです。

 

今更ながら、自分が病気になるかもしれない、そのことが周りに及ぼす影響、特に私は独身だし、それは結婚する相手にとっても大問題なんだっていうことに驚いてしまいました。

 

本当に、今考えると、考えが甘いなぁと思います…

 

でも、結婚の条件に相手の健康をあげてしまうくらい、やはり健康って大事ですよね。

 

とても元気だった旦那さんが、急にガンを発症して、一年後に亡くなってしまうという友達もいたりして、今は、健康って実はわかりにくいってことも分かります。

 

 この世の終わりから生き返る

 

私は、28歳で婚約破棄なってから、不毛の日々を送っていました。

 

pinemama.hatenablog.com

 

その3年後に、共通の友人から、前の彼が結婚することを聞きました。

 

また、気持ちが荒れました。

 

その頃の私は、この世の終わり、第二弾(一弾目は婚約破棄の時)でした。

でも、ノストラダムスの予言でも(今となっては古すぎる)この世は終わりませんでしたけどね…

 

しばらくは立ち直れませんでした。

 

他の人と付き合うこともありましたが、全く身が入っていませんでした。

 

もう別れてから3年以上経つのに、引きづりまくっていました。

女性は引きづらないといいますが、それは相手によると思います。

 

 仕事への打ち込み

 

私は、前の彼と同じ会社に勤めていました。

 

でも、3年後に母の病気が悪くなってきたのきっかけに、辞めました。

でも、まだ24歳で若かった私は、キャリアを途切れさせるとが怖く、介護に専念する気持ちも起きなかったのもありました。

 

前の会社では、一般事務でしたが、パソコンが得意で重宝がられていたのもあり、システム系の会社で働きたいなという気持ちがありました。

 

少しインターネットで求人を見ていたところ、小さい会社でしたが、システム系の会社のアシスタントで、週三回程度でも良いという求人を見つけました。

 

未経験の私がシステム会社で働けることも少ないと思いますが、その会社はマンションの一室を借りているような小さな会社で、社長が女性だったので、私が母の病気でフルタイムで働らけないことも理解してくれました。

 

その会社で、働くことになりました。

少しずつ、システム系の仕事のノウハウを理解できて、仕事も任せてもらえるようになってきました。

週三回では足りなかったので、他の日も家で仕事をするようになりました。

 

今でこそ、自宅での労働を認めてくれる会社が増えましたが、その頃は少なかったと思います。

いろいろと配慮してもらって、本当に助かりました。

 

でも、彼と別れた直後に母が亡くなり、フルタイムで働けるようになりました。

既に数年その会社で働いていたので、もう少しステップアップしたい気持ちが高まっていました。

また、プライベートでいろいろあった私は、日常もリセットしたくなっていたので、転職することにしました。

 

そこで、ハローワークで求人を見つけ、応募した会社ですぐに合格してしまい、最初の会社で超氷河期を体験していた私は、いろいろと活動するのが面倒だったのもあり、すぐに入社を決めてしまいました。

 

その会社の本業はシステムではなかったのですが、システムを専業でやっている部署があり、そこに就職しました。

 

システム会社の多くは、人をプロジェクトごとに派遣する形になっていたので、ほとんどのSEは会社におらず、月に一回の帰社日に同じ会社の人と会うという形でした。

でも、私は自社の開発チームに最初派遣されたので、そこで、営業や事務の方と仲良くなり、よく飲んだくれていました(笑)

 

一年くらいは開発チームにいたのですが、私も他に会社に派遣されることになりました。

 

その会社で、勉強はできたものの、やりがいを感じることができませんでした。

 

システムという仕事はとても面白かったのですが、毎回違う会社の目的が違うプロジェクトで、興味のないものも作らないといけない。

そこに少しずつ違和感を感じるようになってました。

 

そこで、システムには関わるものの興味のある業種を専業にしている会社はないかな?と探しました。

あるエンタメ企業の求人に目が止まりました。

その会社は、有名で一部上場企業だったので、ダメ元で応募してみました。

 

なぜか受かってしまいました…

 

彼との出会い

 

入社してすぐ、面接してくれた上司が辞めました。入社してすぐの面談で今週辞めるって…

それからが怒涛の日々の幕開けでした。

 

少し前に入った女の子が、やめた上司が立ち上げを担当していたシステムを引き継いでました。

その子は、私よりも1歳年下でした。システムの経験値は高かったのですが、さすがに入社したばかりで、急に大きなシステムを一手に任されることになってしまい、大変そうでした。

 

私はわけもわからず、その上司でもない入社したての女の子のサポートにつくことになりました。

 

その子に振り回されつつ、入社したての会社に慣れることもできず、辛い日々を送っていました。

 

でも、4ヶ月後、今度はその女の子が辞めることになってしまいました。

 

私は、その大きなシステムをシステム担当としては1人で担当することになってしまいました。

しかし、1人になってみると、大変さが半分と1人で出来る気楽さが半分と、また会社にも慣れて同僚とも仲良くなり始めてきました。

 

その頃、今結婚することになった彼に出会うことになります。

 

仲良くなった同僚が、時々話すのが彼でした。

 

年に数回話す程度の関係でしたし、ただの同僚で同じ部署でもなかったので、飲みに行くこともありませんでした。

 

入社後、数年でかなり実績も認められるようになり、大きな他のシステムの立ち上げ時の企画から携わることができました。

 

そのシステムの立ち上げ内容の一部に詳しかったのが彼でした。

 

そのために、相談するようになりました。

 

その結果、仲を深めることになりました。

 

結婚するまで

 

付き合うことになり、まだ数週間でしたが、これ以上付き合ってしまうと病気のことを言い出せなくなると危機感がありました。

 

別れを覚悟で、遺伝する確率がある難病があることを伝えました。

 

私がかしこまって覚悟を決めて、症状や予後、大変な病気なんだと言ったのですが、

「え?なんだ、そんなこと。関係ないよ。」

と言われてしまいました。。

 

そんな簡単じゃないことは、重々承知してましたし…拍子抜けしてしまいました。

 

彼にとっての価値は、相手が病気かどうかではなかったようです。

 

その後すぐに、そんな心配なら!と言われて、ご両親を紹介されました。

 

ご両親は、会った瞬間にいい人だとわかるような、優しい方々でした。。

 

会った時に、結婚を前提にと紹介されたので、順番が逆でしたが、その後すぐに、プロポーズされました。

 

付き合って1ヶ月半ほどでしたが、結婚することになりました。

 

それから、一年で結婚して、その一年後に妊娠しました。

トントン拍子とは、このことかもしれません…

 

ここだけ見ると、トントン拍子みたいですが、ここまで来るのにたくさんの辛い経験をしてきました。

 

書いている以上に、仕事もプライベートも順風満帆とは言えず、何度も壁にぶちあたってます…

 

ちなみに、私の旦那がものすごく珍しい考え方の人間というわけではありません。

相手の病気を気にしないという人は、います。

実際に私の姉は結婚してますし、病気が発症しても結婚した人を知っています。

 

なので、私に起こっていることは特別、とは思わないでください。

 

結婚してから現在まで

 

子供が生まれて少し経ってから、症状が出てきて、多分この病気だなということがわかりました。

 

私は大丈夫という気持ちも半分はあったのですが、やっぱりきたかという思いもありました。

 

病気になってしまったのは不幸かもしれませんが、人間病気にならない人の方がすくないです。

 

主人とは、結婚9年目、私が出来ないことが増えてきて大変だと思いますが、私も子供も大事にしてくれます。

 

誰にも結婚した時は私が病気になるかどうかわからなかったはずですが、主人は私が病気になると思っていたらしいです。

 

子供にも病気がありますが、主人も私も子供の病気に対して、辛いと思ったことはありません。

 

物理的にはやらなければいけないことや心配しなければいけないことも山ほどありますが、この息子を授かったことに毎日感謝しています。

 

私の病気は、日々の進行と向き合わざるを得ませんが、子供のために、出来ることはやるように頑張ろうと思ってます。

 

私が結婚できた理由

 

ひとつは、病気と散々向き合ったことかな?

と思ってます。

私はこの病気で婚約破棄になるという直接的に辛い経験をしています。

 

でも、婚約破棄の経験から、病気のことをよく考えたので、いま病気が発症しても、向き合えるようになったんだと思います。

 

また、二つ目としては、私は仕事に打ち込む時期がありました。それも、紆余曲折ありましたが、後悔していません。

その時期のプライベートは寂しいもんで、それが、6年くらいは続きました。

本当は育休とって、復帰するつもりでした。でも、こどもに病気があったので、適当な保育園を探せませんでした。

でも、後ろ髪惹かれる部分もあったのですが、あきらめることができたのは、ある程度仕事をやり切った感があったからだと思います。 

 

『若い時の苦労は買ってでもしろ』

 

というようなことを言いますが、今振り返るとその通りかもしれません。

 

私は「遺伝する病気があった」ということから、20代の恋愛や仕事で苦労しました。

 

20代の恋愛では、遺伝が原因で婚約破棄にもなり、仕事では、母の病気がきっかけでキャリアチェンジしました。

 

別に私と同じ状況ではなくても、若い時の苦労は、30代後半から40代の状況や考え方を大きく変えます。

 

その20代からの経験の結果、結婚することになり、出産や子育てを経験することになりました。

 

子供も私も病気で、側からみれば、全く羨ましくない状況ですが、それでも私は幸せなんです。

 

でも、それは若い時の苦労があったからこそ、そう思えるんだと思います。

 

それがなく結婚や出産をしても、私にはそのありがたみは分かりませんでした。

 

ただ、苦労って漠然としすぎてますよね。。

 

私もしようと思ってしたわけではありませんし、苦労なんて本当はしたくないし、目の前に見えていたら多分避けると思います。

 

ただ、20代の若いうちは、何事も恐れすぎないで、ズルをしないで、一生懸命やることじゃないかな?と思ってます。

 

出来る限りでいいと思いますが、真摯に向き合おうと頑張っているうちに、苦労をしながら得がたい経験をして、それが将来の自分を楽にすると若い人たちが考えてくれると嬉しいです。

 

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