Time is limited

障害児を育てる難病ママのブログ

私の介護反省時代(母編)

 

 

 

私は、24歳から28歳まで、母の介護をしました。わたしは母からの遺伝なので、
私と同じ神経難病でした。
若かったのもあって、今振り返ってもうまくできてなかったと思います。正直反省する部分の方が多いです。


母が寝たきりになり、
父一人では介護が難しくなって、
一緒に住んでた私に父が頼んできたので、
20歳から勤めた会社を辞めました。
24歳になってすぐだったと思います。
その頃ちょうど会社の仕事にマンネリ感を感じていたので、すんなり辞めてしまいました。
でも、辞めてしばらくして、介護だけの生活に不安になってしまい、あの時は珍しかった
在宅と出勤、半々の小さい会社を見つけて、
勤めることにしました。


寝たきりになるまで、母が家事を頑張ってくれてたこともあり、わたしと父は家事があまりできなかったので、苦労しました。


母は、病気のせいで頻尿だったので、
寝てる間に2、3回は起こされました。
わたしと父のところに呼び出しベルを置いていました。
わたしが起きる時もありましたが、父にお願いしてしまうことも多かったと思います。
それは反省点です。
母は、オムツが嫌いだったと思います。
最終的にはオムツになりましたが。


ご飯は、むせがひどくなるので、
流動食のような感じに仕上げます。
毎食のことだからどうしていたかな?
確かミキサーを使うんじゃないかと思います。


今はそういう食事も取ることができるんですよね。当時は作るしかなかったと思います。
確かヘルパーさんにお願いしてたかもしれません。


例えば呼吸器とか、悪くなってしまって、
入院を数週間するのですが、その間父もわたしも少し楽できるのですが、帰ってきたら、
必ずできないことが増えてます。
例えば入院の原因の呼吸器自体は良くなっているけど、トイレに行く時に力が入らなくなってしまったり。。
わたしも肺炎で入院したのですが、
肺炎自体は良くなって退院できたのですが、この病気のせいで転んだら大変ということで、トイレに行くにも毎回車椅子で看護師さんの付き添いでした。その時は楽かもしれませんが、
家で四六時中看護師さんがいるわけではありません。
母が入院して悪くなってしまったことを
自分も体感してよくわかりました。


わたしの1番の母への介護反省点は、
母へちゃんと寄り添ってあげることができていなかったことです。
夜うまく寝れなくて、その頃のわたしはイライラしてたと思います。
病気になるとできないことだらけで、
とても孤独です。
もう少し精神的に支えになれてたらと思います。


今のわたしは孤独も感じますが、
主人と子供に優しくしてもらってます。


病気なって本当に毎日辛いです。
でも、唯一の収穫は、母の気持ちや病気の人たちの気持ちがすこしはわかってあげられたことかな。と。
まあ何もできませんが。。


今更ながら、人を介護することは今はできませんが、今だったらもう少し違った感じになれると思った次第でした。

もちろん介護することは大変な面も少なからずあります。なので、いろいろなサービスを使いながら、自分のことも安定させつつ、母に寄り添えてたかな?と思います。

 

 

pinemama.hatenablog.com

 

 

pinemama.hatenablog.com

 

pinemama.hatenablog.com