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障害児を育てる難病ママのブログ

私の介護反省時代(父編)

父への気持ちはいままで人に話したり書いたりしたことはありませんでした。すでに亡くなっているのですが、親子関係はずっと継続です。

ある人に指摘を受け、わだかまりを感じているなあと。素直な気持ちを書いて、消化させようと思います。

 

父は小さいながらも会社を経営してました。そこを頼って親戚がたくさん遠方の田舎から上京して来てました。従業員だった親戚も1人や2人じゃないです。姪っ子は取引先の人と結婚したくらいです。今でも車で行ける距離に親戚がたくさん住んでます。

幼心にそれを感じてた私は、父を尊敬していました。ただ、父親にはそんなこと言ったことはなかったです。

 

母が病気で寝たきりになってからは、母の介護を中心でしてました。今まで仕事しかして来てなかったので、かなり大変だったと思います。

 

母が亡くなって、数年後に父は認知症を発症してしまいました。

私は結婚して子供も生まれました。最初は姉と隔週で週末行っていましたが、それも難しくなりました。平日はヘルパーさんに来てもらってました。私は近くに住んでいたので、一緒に住むという選択肢もあったと思います。でも、あまり私との仲も良かったとは言いがたく、認知症でも時々喧嘩をしていました。とても、父と一緒には住めませんでした。

 

でも、病気も進行して来て、やはり一人暮らしには限界を感じました。

 

近くに特別養護老人ホームが出来ることになり、ラッキーにも入所させてもらえることになりました。

でも入所してすぐに呼び出されました。他の人に暴言を吐くというのです。一人暮らしの時はヘルパーさんに暴言を吐くなんてことはなく、いつも穏やかだと言われていました。

 

今考えてみれば認知症の症状だし、父だけに原因があったとは思えませんが、できたばかりの特養だったので、改善要望も言えなかったです。他に移ることになりました。他に受け入れ可能で予算にも合う老人ホームを姉と一緒に探すことになりました。

 

姉の家の近くが私の家の近くで探したところ、姉の家の近くに適当な老人ホームが見つかりました。そこに決めました。

数年間はそこで過ごしたのですが、脳出血を発症してしまい、手術することになりました。手術自体はうまく行ったと説明されてその日は帰ったのですが、稀に急変することもあると言われていて、父は夜中に急変してしまいました。姉は近かったのですぐ行けたのですが、私は少し時間かかってしまったので、その間に人工呼吸器を付けるかどうかの決断を迫られてしまいました。私がまだだったので、当然人工呼吸器を付けたのですが、そこから数年間は後悔しました。そのせいで寝たきりになってしまったと思います。

そこからは寝たきりでも受け入れ可能だった施設に入ってもらい、気管切開をして胃瘻をして、見ていて本当にかわいそうになりました。それが数年も続いてしまいました。あの時、人工呼吸器をつけなければその場でなくなってしまいましたので、そんな決断はできませんが、その決断で数年間苦しめることになってしまいました。いまでも、どうしたら良かったのかわからないのですが、そのことは後悔として残っています。

 

上記は父に最後に起こったことですが、父への気持ちを正直に書きます。父とは何度か大げんかしました。いつも私はわがままだと言われました。父からしてみたら、母への介護も中途半端だし、今まで育ててやったのに、ちゃんと敬えということだったらしいです。

私は、『無償の愛』に憧れがありました。私は自分の息子に対しての気持ちは何事にも変え難く介護してもらおうと思ったこともありません。無償の愛だと思っています。旦那のご両親も、旦那や孫に対してそういう感じです。

無償の愛なんて、娘が求めるものではないかもしれませんが、父は育ててあげた見返りを求めていると感じてました。それが嫌でした。

 

父への最期に対する後悔と、持っていた気持ちが混在しています。

 

 

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