国指定の難病の脊髄小脳変性症で、一児のママです。
私が症状を感じたのは、振り返れば8年くらい前のことだったと思います。30代です。 最初はちょっとした異変でしたが、その初期症状を感じてから診断を受けるまでの経過をお伝えします。
私の脊髄小脳変性症とは?
脊髄小脳変性症はいろいろな型があり、運動失調症状がある神経変性疾患の総称です。
そのため、同じ脊髄小脳変性症でも、症状は似ているのですが、その原因はさまざまです。
私は母からの遺伝で、遺伝は脊髄小脳変性症の全体の約3万人の3分の1程度です。
多くの人の症状としては、足のふらつき、手が震えたりうまく使えない、舌がもつれてはなしにくくなったり、食べるときにむせてしまったりします。
私も症状も、まさにそんな感じです。
同じ病気でも進行具合や症状に違いがあるのは、わかっているものの、このブログに書くことで、少しでも同じ病気で苦しんでいる方やその家族のご参考になればうれしいです。
私の初期症状は?
これは今考えれば、で当時は自分が病気である自覚は全くありませんでした。
働いていたころで、8年位前かなと思います。
まずは、階段を降りるときに、少し危ないなと思いました。登るときしんどいのは、体力がないからかなーと思ってました。
それと、お茶をお客様に出すのに、お盆に複数のせたとき、少しこぼしてしまいました。
結婚式のときも、慣れない草履をはいていたのも要因の一つではあったのですが、やはり歩きづらさを感じていました・・・
ホント、『今思えば』です。
やっぱり、その時は、心の中で無意識に打ち消していたと思います。
結婚式の1年後に妊娠生活に入ったのですが、その時は完全に忘れていました。
自分は病気かもしれない
いよいよ、自分は病気かもしれないと思ったのは、こどもが2歳くらいのときで、今から5年ほど前だと思います。
実は、最初は病院に行かなかったんです。私は母を介護していたしそばで見ていた経験があるので、症状についてはよくわかっていました。
そのために、病院ではっきり言われることの怖さや治らない病気なのに病院に行ってもしかたないんじゃないか?と思う気持ちがありました。
そのころ、6歳年上の姉から、「実は母の病気が遺伝しているみたい」と聞かされました。
自分だけでなく姉までも・・・ということで、とてもショックでした。
姉は病院に行ってはっきり診断を受けたようでした。でもあまり病院のことはよく言っていなかったので、余計に私も行きたくなくなってしまいました。
その頃の私は、こどもを一時保育に預けて、電車で1時間半かかるところに、『鍼治療』に行っていました。
私の病気である脊髄小脳変性症が改善するというように、その診療所のサイトには書いてありました。
正直、とても痛かったのと、なかなか金額もお高く、改善するためには週に3回以上行かないといけない、遠方で通うのが大変ということで、週2回くらいは行ってたのですが、1年くらいでやめてしまいました。
民間療法については、またの機会に、詳細を書きたいと思います。
病院で診断をやっと受けた
病院でやっと診断を受けました。今から約2年半前だと思います。
まずは、近くに神経内科があるクリニックでCTを取ってもらい、母のことや自分に出ている症状のことを話したら、たぶんそうだろうと。
大きな病院でも診ていただきたかったので、紹介状を希望して書いてもらいました。
そちらの大きな病院では、MRIの検査を行い、いままでのことを話したところ、まあ、たぶんそうだろうと。
私の場合、母からの遺伝であることは間違いなかったので、確定診断をするには遺伝子検査が必要なのですが、やっていません。症状から判断しているという感じです。
MRIでは小脳の萎縮を一応見るのですが、わかりやすく極端に委縮しているわけではなかったので、ちょっとわかりにくかったようです。
結局、考えてみれば、ふんわりした診断だったような気もします。
でも、私の場合は、遺伝というのが明らかだったことによると思います。
脊髄小脳変性症以外にも、運動失調症状を伴う原因が分かっている疾患は、たくさんあるそうです。
そのため、もし少し脊髄小脳変性症という診断に疑問を感じるなら、セカンドオピニオンを求めてもいいと思います。
私のリハビリについては、こちらにまとめてあります。 ※外部サイトです。
私が使っている移動アイテムはこちらです。 ※外部サイトです。